ジブリ作品の中で3本の指に入る『風の谷のナウシカ』。今もなお、年齢を問わず多くのファンに愛されている宮崎駿監督作品です。ナウシカの名前の由来や、監督自身が本作を制作する上で影響を受けたものなど、すでに周知されているものが多いかもしれません。
宮崎監督にとって『風の谷のナウシカ』は、失敗は許されない絶体絶命の状態で挑まれた作品だったことも有名な話ですね。
先日、「金曜ロードショーとジブリ展」が天王洲の寺田倉庫B&C HALL/E HALLで6月29日(木)~9月24日(日)まで開催されることが報道されていました。
そこで今回はそれに先駆けて、『風の谷のナウシカ』のおさらいしておきたいトリビア・豆知識をまとめてみました。作品を観るのが初めての方にもより深く親しむために利用してくださると嬉しいです。
『風の谷のナウシカ』知っておきたい情報まとめ!
『風の谷のナウシカ』の作品について
- 『風の谷のナウシカ(1984)』Nausicaä of the Valley of the Wind
- 原作・脚本・監督:宮崎 駿
- プロデューサー:高畑 勲
- 音楽:久石 譲
- 声の出演:島本須美 ⋅ 納谷悟朗 ⋅ 松田洋治 ⋅ 永井一郎 ⋅ 榊原良子 ⋅ 家弓家正
- 上映時間:約116分
- 配給:東映
- 公開日:1984.3.11(日)
1984年3月11日に公開された宮崎駿監督2作目の長編漫画映画。1982年にアニメ情報誌『アニメージュ』で連載された宮崎漫画のSF・ファンタジー作品であり、原作の単行本全7巻の序盤の2巻までのコンテンツが描かれています。
2019年には『風の谷のナウシカ』は歌舞伎化され、今でもロードショーで定期的に再放送されるほど評判が高いですが、この作品を制作するに当たって、じつは宮崎監督は背水の陣で挑んでいたと言います。
じつは、宮崎監督の映画初監督作品、『ルパン三世・カリオストロの城』の興行成績の不振でアニメ業界で不遇の地位に甘んじていました。
その当時、アニメージュ編集部では、『未来少年コナン』や『ルパン三世・カリオストロの城』において宮崎監督の才能を買っていたため、アニメ化への布石を打つためと誌面の話題作りのために宮崎監督に連載漫画の執筆を依頼したそうです。
この時の担当編集者が鈴木敏夫プロデューサーで、彼に口説かれた宮崎さんは、「漫画として描くならアニメーションで絶対にできないような作品を」という条件付きで承諾しました。
アメリカの漫画家リチャード・コーベン(Richard Corben)のコミック『ロルフ(Rowlf)』(1971年)に「腐海」を設定したSF・ファンタジーを『風の谷のナウシカ』と題名で執筆を始めました。宮崎監督は、小国の運命を背負ったお姫様という着想を『ロルフ(Rowlf)』から得ています。
また、ナウシカのモデルとして日本の古典文学『堤中納言物語』の中の一篇で、毛虫を愛でる「虫めづる姫君」を挙げています。名前はギリシャ神話に登場するスケリア島の王女ナウシカアからきています。
『風の谷のナウシカ』制作秘話
前に記述した通り、放映当時の『ルパン三世カリオストロの城』の興行が失敗していたことで『風の谷のナウシカ』の制作資金を出してくれる会社がありませんでした。そこでのちの名プロデューサーとなる鈴木敏夫が何度も企画会議で映画制作を通そうとしましたが、原作がないものを映画化できないと却下され続けました。
徳間書店のアニメージュ編集長の緒方英夫は『未来少年コナン』から宮崎さんに一目置いていたので、「無理やり原作を作ってはどうか」と当時徳間書店に所属していた鈴木敏夫に提案したそうです。
そこで、鈴木さんは宮崎さんの才能を漫画に描くことで発揮してもらおうと、アニメージュで『風の谷のナウシカ』の連載ができるように取り計らいました。次第に世間的にも評価されるようになり、鈴木敏夫は短編アニメから企画会議に提案していきながら、徐々に話を膨らませていき、最終的には徳間書店の社長から劇場版映画制作の許可が出されることに成功します。
ところが、大きな問題がありました。それは宮崎さんがプロデューサーに指名した高畑勲が要請を断ったことでした。宮崎さんは鈴木さんを飲みに誘い、日本酒を一気に飲み干して酔払い、泣きながら自分の胸の内を打ち明けました。「15年間、パクさん(高畑勲)」に自分の全青春を捧げてきたのに、それなのに…」。
鈴木さんはその後に高畑さんに会い、もう一度プロデューサーに就任してもらえるよう頼みますが、また断られてしまいます。居ても立っても居られない鈴木さんは、「高畑さんにとって宮崎さんは大切なお友達でしょ?友達が困っているのにあなたは力を貸さないんですか?」と怒鳴ったそうです。さすがに高畑さんもその言葉が胸に響いたそうで、プロデューサーを引き受けることにしました。
『風の谷のナウシカ』のトリビア1
➀『ナウシカ』の映画化は鈴木敏夫の嘘のおかげ!?
『風の谷のナウシカ』の映画化の許可が出なかった理由が、「原作のないものは映画化できない」でした。そこで鈴木敏夫は宮崎さんにアニメージュで漫画を描かせ、原作を作ることで解決させました。
しかし、博報堂から原作漫画の売上げを聞かれ、鈴木さんは5万部も売れていなかったにもかかわらず、「50万部です(本当は5,10万部と言った)」と回答したといいます。
当時の鈴木さんは、どう辻褄合わせをしたらよいか頭を悩ませたそうですが、後に映画がヒットしたので、実際に50万部を超える売り上げを実現させています。
②『風の谷のナウシカ』はメビウスから影響を受けて生まれた作品
フランスの漫画家、メビウスことジャン・ジローによって描かれました。『アルザック(Arzach)』
なんと手塚治虫、大友克洋、荒木飛呂彦、浦沢直樹、小池桂一、谷口ジローなど日本漫画界に多大な影響を与えたメビウス・アイザック。
宮崎監督も影響を受けたその一人。『風の谷のナウシカ』はメビウスさんの『アイザック』作品の影響を受けたと本人は語っています。また、メビウスさんとの対談が『ハウルの動く城』のDVDに収録されています。アルザックは1975年から76年までフランスのSF・ファンタジー漫画雑誌に連載されました。
ナウシカが乗る小型のグライダー・メーヴェですが、まさに『アイザック』の漫画にヒントがありました。翼竜の物体に乗ってさまざまな土地を飛び回る戦士アルザックの奮闘ぶりが描かれているのです。
宮崎さんがその作品に出会ったのは1980年頃で、大変な衝撃を受けたと本人は回顧しています。日本の漫画界全体が影響され、その頃の宮崎さんの画風は固まっていたそうで、メビウスさんの絵を上手く自分の中に活かせなかったと言います。
しかし、宮崎監督はメビウスさんの空間感覚にインスパイアされ続けていて、今日でも魅力を感じています。実際に私もユーチューブで『アルザック』の作品を観ましたが、メーヴェが飛ぶ雰囲気や空間は『アルザック』と重なるところが多々あって、『風の谷のナウシカ』は明らかにメビウスさんの影響によって生まれた作品だと思いました。
③ラストシーンは鈴木さんのアイデア?
宮崎さんの絵コンテのラストシーンに鈴木さんや高畑さんは納得できず、二人で喫茶店で急遽ミーティングを開き、他のラストシーンを考えました。宮崎さんのを含め、全部で3パターンを用意。
- 宮崎案:王蟲が突進してきて、その前にナウシカが降り立ち、いきなり終わる。
- 代替案❶:王蟲が突進してきてナウシカが吹き飛ばされ、そのままナウシカは亡くなる。
- 代替案❷:ナウシカは吹き飛ばされるが、その後に生き返る。
この3パターンの中から鈴木さんは代替案❷を選んで、宮崎さんに提案しに行きました。一悶着あることを覚悟で出向いた鈴木さんでしたが、意外や意外、「分かりました。それでやります」と宮崎さん。すんなりとOKが出ました。じつは制作状況が芳しくなかったこともあったようです。
結果的に映画は原作漫画とは異なるラストシーンになってしまいました。ファンの間では原作とまるで違うと声が上がったり、ネット上でも様々な議論を呼んでいたようです。
その声に宮崎さんはかなり頭を悩ませて、後悔したと言います。「どうしてもっと良い結末を思いつけなかったのか、あのラストシーンは心残りだ」と未だに宮崎さんは悩んでいるそうです。
https://ghibli.jpn.org/report/nausica-2/
金曜ロードショーとジブリ展
寺田倉庫B&C HALL/E HALL(東京・天王洲)
2023年6月29日(木)~2023年9月24日(日)
この展覧会は日本テレビの『金曜ロードショー』の歴史を振り返りながら、本番組で放送したジブリ作品の魅力に迫るものです。1985年に番組が始まり、翌年に『風の谷のナウシカ』は初放映されました。これまで『金曜ロードショー』で放映したジブリ作品はなんと200回以上だそうです。その足跡はまさにスタジオジブリが人気を博し、不動のものとしてきた道とも言えそうです。
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まとめ
【保存版】『風の谷のナウシカ』の知っておきたい豆知識!(前半)はいかがでしたか?
宮崎アニメは観れば観るほど新たな発見があったり、違う見方ができたりして、飽きるどころかむしろもう一度観たくなるから本当に不思議ですね。この機会にもう一度作品に触れてみてくださいね。さらに深く作品を味わえるかもしれません。
後半は国内ではあまり知られていない『ナウシカ』のトリビアをご紹介します。お楽しみに。
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