パナソニック汐留美術館で2021年1月9日から開催されている『香りの器・高砂コレクション展』。古代オリエントから欧州の宮廷で愛用されたマイセンやルネ・ラリックなどの香水瓶、そして国内で扱われてきた伝統的な香道の道具類、香炉、そして香合などがずらりと展示されています。
この展覧会では、高砂香料工業株式会社が香料や香水など、香りの文化を継承する資料や美術品の収集をしてきた中から、選りすぐりの240点に及ぶ芸術品が楽しめます。
今回は、前回に紹介し切れなかった数々の豪華で貴重な香水瓶も満載しました。それでは、中世から近代までの香りの歴史を織り交ぜながら、『香りの器・高砂コレクション展』の更なる魅力をお伝えします。
パナソニック汐留美術館『香りの器・高砂コレクション展』part2
展覧会会期:2021年1月9日(土) ~3月21日(日)
開館時間:午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時30分まで)
※3月5日(金)は夜間開館 午後8時まで(ご入館は午後7時30分まで)
休館日:水曜日
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中世の香りの歴史
11世紀頃、イスラム教国から聖地エルサレムを奪還すべく、中東地域へ向かって十字軍の遠征が始まります。その間、麝香(じゃこう:ムスク)をはじめ、東洋の香料や香辛料がヨーロッパに持ち込まれるようになりました。
宗教儀式で香りを使う伝統は受け継がれ、神にお香を捧げるために焚かれていました。嫌な匂いは神への侮辱、そしてヒポクラテスの教えに基づく「悪臭は病気につながる」という考えが根付いていました。そこで当時の人々は、その嫌な匂いを遠ざけるための香油、お香、そして香料などが入ったお守りを首から下げていたのです。
古代ペルシャ(今のイラン)で蒸留法が発見され、オイルの代わりに水を使って生成するパフュームを発明しました。これによってペルシャはローズウォーターを生産できるようになり、王族や上流階級の人たちの富と名声を表すものとしてパフュームはステータスの象徴となりました。その証拠に自身の肖像画に香水瓶や原材料となる花々を描かせていたことからも分かります。
16世紀になると、イタリアやフランスにも香水文化が広がっていきます。世界中から集められた芳醇な香り、または強い匂いの香料を調合して販売する薬局が誕生。そこでは、医薬品も化粧品も香水も調香師が天然材料の効能を利用してあらゆる原材料と組み合わせて、新しい調合薬を作り出していました。当然ながら、植物や香辛料など医学的かつ治療的な有効性が認知され始めたのもこの時代でした。
🔽展示会での作品
前回に引き続き、写真撮影が許された美術品をご紹介します。香りの歴史を肌で感じる貴重な資料や美術品の数々。前回の記事を見逃した方はこちらもどうぞ。
アルコールの発明から誕生した「香水」
香水の歴史は香料からはじまり、香水が登場したのはアルコールが発見されてからと言われています。ローマ帝国の滅亡とともに、香料の中心はアラビアに移り、アラビア人の手によって、香りの歴史上、画期的で且つ重要な発明がなされました。それはアルコールの発明でした。アルコールを使って作られた液体の香りがこの時代に生まれ、それがヨーロッパの香水文化とつながっていきます。
10世紀頃にローズオイルとローズウォーターが誕生したことは前に言及しましたが、「水蒸気蒸留法」という手法を発見したのもこの時代でした。
イブン・シィーナー(アビセンナ)は、イスラム世界が生み出した最高の知識人として有名でした。「第二のアリストテレス」とも呼ばれ、哲学、医学に多大な影響を及ぼしています。シィーナーは、実は科学者でもあり、蒸留してアルコールにした香水を世界で初めて発明したのも彼でした。それまでは素材を蒸留してオイルにしたものを香水として使用していました。
シィーナーの発明した香水は、オイル自体の不快な香りを除去できることから衛生的で、現代の香水のほとんどがシィーナーの方法で製造されています。ちなみに、彼の医学書『医学範典』は17世紀頃まで欧州の医科大学の教科書として使われていたと言います。
16世紀のイギリスのエリザベス一世、フランスのポンパドール婦人、マリー・アントワネット、またはナポレオンなど多くの王族や貴族たちが香水や香料にまつわるエピソードが残っています。
18世紀には、ドイツのケルンに住むイタリア人、ポール・フェミナスが行商人から受け継いだ芳香水の調合をもとに、オーデコロンの前身を発明しました。
香水は「富と名声」の象徴
18~19世紀には、香水は「社会的地位」や「高い身分」の象徴とされるようになりました。貴族たちにとってはなくてはならない貴重品となり、コンパクトな香水瓶やお香をいつでもどこでも持ち歩くようになりました。
また、中世の欧州は長期の戦時下にあったため、その動乱の中、兵士が異国の香水を自国に持ち帰って広まったことも知られています。たとえば、有名なのがフランス兵の話。
1789年に勃発したフランス革命、引き続きオーストリアへの宣戦布告に伴って革命政府が欧州諸国を相手に戦争を始めました。1794年には、当時フランスの占領下だったケルンという町にフランス軍が進駐しました。ケルンと言えば、先ほど紹介したポール・フェミナスが行商人から教わった芳香水のレシピを試してできた芳香水。これがオーデコロンの前身です。
オーデコロンとは、「ケルンの水」という意味。ケルンの町で商業を営んでいたヴィルヘルム・ミュールヘンスの結婚式でのこと。もとはイタリアで発売された「アクア・ミラビリス(aqua mirabilis)」の調合法を修道士から結婚のお祝いにもらったのがきっかけでした。
ラテン語で「信られないくらい素晴らしい水」という意味で、修道士のレシピ通りに製法すると、中々の出来栄えで、彼はそこで会社を始めたのでした。当時のフランス兵たちが家族や恋人のためにパリに持ち帰った大量の香水が、「オーデコロン」と呼ばれ、大流行したと言います。
かの有名なナポレオンも、自身がオーデコロンの愛用者でした。実は今もなお、『4711』という名前で世界で最初のオーデコロンは販売されています。
近代
19世紀になると、王侯貴族の贅沢品だった香水は科学の発達により合成香料が大量に生産されるようになったことで、香料の利用範囲も広くなり、一般富裕層にまで需要が広がりました。気軽に香りのおしゃれを楽しむことができるようになったのです。
香水専門店が誕生し、女性たちを魅了するような優美な香水瓶が次々と発売されました。香水はもはや貴族たちだけのものではなく、民衆の化粧品となりました。
当時、ルネ・ラリックやバカラなどの一流ガラスブランドが斬新で豪華な香水瓶を手掛けるなど芸術作品としても人気を博しました。今回のパナソニック汐留美術館『香りの器・高砂コレクション展』でも当時の香水瓶が数多く展示されていました。
1921年、香水業界ではあの有名なブランドが開発した香水の登場で、歴史が塗り替えられたと言われています。そのブランドとは、シャネルの「シャネルNº5」。
かのマリリン・モンローは、「ベッドでは何を着ていますか?」という『LIFE』誌のインタビューで、「寝るときにまとうのは、シャネルの香水、Nº5だけよ」と答えたのは有名な話。
合成香料が発明され、香水の新時代を拓くきっかけが「シャネルNº5」だったのです。これ以降、合成香料全盛期が世界各地に訪れます。
🔽展示会で観た陶磁器製の香水瓶
18世紀初期、ドイツのマイセンが欧州で初めて白色磁器の焼成に成功しました。その手法は欧州各地へ広まり、ガラス瓶が主流だった香水の容器に陶磁器製も加わり、生産量が拡大していきます。
当時は、彫像の香水瓶が人気で、マイセンをはじめとしてウェッジウッド、ロイヤルコペンハーゲン、セーブルなど欧州の名窯が趣向を凝らして様々な香水瓶を競うように製作しました。その当時に製作された作品の一部をご紹介します。
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ガラスや陶磁器製の香水瓶は、携帯用としても使用できるように小型に製作しています。人物、花鳥、そして草花など色彩豊かな作品に目が奪われます。
≪まとめ≫
次回は、我が日本の香りの文化について触れながら、パナソニック汐留美術館『香りの器・高砂コレクション展』で鑑賞した伝統的な香道の道具類、香炉、そして香合などに触れていきたいと思います。
高砂コレクション展で観た古今東西の香りの器がまだまだ登場しますので、ぜひお楽しみに…。
(つづく)
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🔶Author:あみ(Ami)🔶
メディアプロデューサー/英語講師
日本の私立短期大家政科卒。証券会社に就職後、渡米。大学でテレビ、ラジオ、及び映画制作を学ぶ。卒業後、日本のテレビ・ラジオ・出版などマスメディアの仕事に従事。趣味は文化・伝統芸能・ヨガ・料理。近年は心理学・歴史・神社仏閣の造詣を深める。2019年、神社検定弐級合格。