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一度は行ってみたいバスツアー 秩父三社・秩父神社編 その②

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前回にに引き続き、一度は行ってみたいバスツアー第二弾です。今回は、秩父社をご紹介します。

秩父の総鎮守・秩父神社

バスは宝登山神社から秩父神社へ

埼玉県に鎮座する秩父神社は秩父の総鎮守です。三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社で、12月3日に行われる例祭「秩父夜祭」が有名です。

京都の祇園祭、飛騨高山祭とともに日本三大曳山祭のひとつに数えられ、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

秩父神社は第10代崇神天皇の御代に、初代の知知夫国国造(くにのみやっこ)に任ぜられた知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が、祖神である八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)をお祀りしたことに始まります。

八意思兼命は知恵を司る神様。ご祭神は知知夫彦命と八意思兼命の他に、北辰妙見として鎌倉時代に習合した神、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と昭和28年に合祀された先帝昭和天皇の弟宮様、秩父宮雍仁親王が祀られています。

参拝者で賑わう秩父神社の大鳥居前

中世以降は妙見信仰と習合し秩父妙見宮として広く信仰を集めました。妙見信仰とは、北極星・北斗七星を神格化した妙見菩薩などを祀る外来の信仰です。

当時、都で祈祷などが盛んに行われ、やがて地方の豪族の中で武士の守護神として信仰されていきました。

明治時代になって神仏判然令により、妙見菩薩を造化三神である天の中心の神様・天之御中主神に改めてご祭神に加えられます。

ちなみに妙見信仰についてですが、紀元前数千年前、現在のイラクやイランに栄えたアッシリアやバビロニアの砂漠の遊牧民族が方角を確認するために北極星を神として信仰したのが始まりで、遊牧民を経てインドや中国に伝わりました。

古代中国に伝わった北極星の信仰は、やがて道教などの星信仰と習合していきます。日本へは7世紀に高句麗、百済などの渡来人により仏教とともに伝来してきました。

ご本殿

秩父神社・ご本殿

ご本殿は戦国時代末期の兵火によって焼失したものの、天正20年(1592年)9月に徳川家康公が社領57石を寄進、代官である成瀬吉右衛門に命じて建造させたものです。

豪華な彫刻が施されたご社殿

ご社殿は宝登山神社と同じく、本殿、幣殿、拝殿から成る権現造り。

細やかな装飾や彫刻が美しい

江戸時代初期の建築様式で、彩色に彩られた彫刻が施された豪華な造りが見どころ。

その彫刻には日光東照宮の三猿で有名な名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)も関わったと伝えられています。建造時の棟礼とともに埼玉県の重要文化財に指定されました。

皇大神宮

ご祭神は伊勢の内宮にお祀りされる天照大御神、皇室の御祖先であり、日本の総氏神様です。

秩父神社・皇大神宮

つなぎの龍(左甚五郎作)

その昔、秩父観音霊場札所十五番である少林寺の近くの天ヶ池に住みついた龍がいました。その龍が暴れると必ずこの彫刻の下に水溜りができました。

そこでこの彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、龍は姿を見せなくなったという不思議な伝説があります。

この彫刻こそ、伝説に語られた「つなぎの龍」の姿です。つなぎの龍も名工・左甚五郎(ひだりじんごろう) が施したものと伝えられています。

秩父神社・つなぎの龍

豊受大神宮

ご祭神は伊勢の外宮にお祀りされる豊受大御神、 天照大御神に仕える五穀豊穣の神様です。

父神社・ 豊受大御神

御朱印

さすがは秩父の総鎮守、境内は多くの参拝者で賑わっていました。社務所にも御朱印待ちの長蛇の列ができていました。

大型連休のゆったりとした雰囲気に反して、神職の方々は大変です。そんな状況下で書いて頂いた御朱印はいつもよりもより有難く頂戴しました。

秩父神社の御朱印

他にも秩父神社では水に浮かべると神様からのメッセージがあらわれる「水みくじ」や秩父は養蚕が盛んなことから「まゆみくじ(期間限定)」が楽しめます。

帰り際に結婚式を終えた新郎新婦の記念撮影に遭遇。思わず一枚撮らせて頂きました。おめでとうございます。末永くお幸せに…。

(つづく)

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