世界遺産にも登録されている上賀茂神社と下鴨神社の2社が、かつてひとつの神社だったということをご存知でしたか?
なぜ、2つに分かれたのでしょうか?その背景には、朝廷と地方豪族の間で繰り広げられた、権力をめぐる緊張関係がありました。
今回は、その「歴史の謎」と、下鴨神社の見どころを一緒にひも解いていきます。上賀茂神社の記事と合わせて読んでいただくと、賀茂神社の世界がより理解され、立体的に見えてくるはずです。
上賀茂神社と下鴨神社の関係|なぜ2つに分かれたのか


下鴨神社の正式名称は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)、上賀茂神社の正式名称は、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)です。じつは、正式名称にこの2社の秘密が隠されていました。
上賀茂神社とは?

上賀茂神社は、京都市北区に鎮座する、京都でもっとも古い神社のひとつです。飛鳥時代(7世紀後半)に創建されました。
御祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)で、雷の御神威によって厄を祓い、開運をもたらす神様として、古来より朝廷から篤く崇敬されてきました。
昔、賀茂の神社はこの上賀茂神社ただひとつでした。「上」も「下」もなく——それが奈良時代のある時期を境に、2つへと分かれていきます。
下鴨神社とは?

下鴨神社が鎮座するのは、京都盆地の北東部。北東から流れる高野川と、北西から流れる賀茂川が合流するあたり、その北側に位置しています。
そこに祀られているのは——玉依媛命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の2柱です。つまり、下鴨神社には上賀茂神社の神様の「母上」と「ご祖父さま」が祀られているのです。
「賀茂御祖(かもみおや)神社」という正式名称も、まさにこの"祖先の神社"という意味からきています。
☞知っておきたい豆知識
2社を並べて書くとき、ふつうなら「上賀茂神社・下鴨神社」と書きたくなりますね。ところが、神様の親子関係に倣って「下鴨神社・上賀茂神社」の順で書くのが正式とされているそうです。親・ご先祖がまず先であり、子が後に続く——正式名称に隠された秘密と合わせて、覚えておきたいですね。
2つの社殿に宿る神様の物語


下鴨神社の本殿は、西殿と東殿があります。
西殿に祀られているのは賀茂建角身命であり、京都を拓かれた神様です。山城国一宮として京都の守護神として祀られています。平安京造営の際、この神社にて御祈願されたと言います。また、神武天皇東征では八咫烏に化身し、勝利に導いたとも伝えられ、"導きの神様"として古くから信仰を集めています。
東殿に祀られているのは玉依媛命です。山城国の風土記には、こんな神話が伝えられています。
玉依媛命が鴨川で禊をされていると、上流から丹塗りの矢が流れてきました。その矢を拾い、床に置いたところ、矢は美しい男神に変わり、おふたりは結婚。やがてお子をお生みになりました。
この伝説から、下鴨神社は古くから縁結び・子育ての神様としても信仰されてきました。厄除、子宝、安産、交通安全と、人々の暮らしに寄り添う神様が今も静かにこの地を守っています。
糺の森とは?下鴨神社の原生林を歩く

下鴨神社の広大な境内を包むのが、「糺の森(ただすのもり)」と呼ばれる原生林です。その広さは約12万4千平方メートル(約3万6千坪)、東京ドーム約3つ分です。昔はさらに広大な森が広がっていたとも言われています。

ムクノキ、エノキ、ケヤキなどの落葉広葉樹が生い茂り、森の下には泉川・瀬見の小川・御手洗川・奈良の小川という4本の清らかな小川が流れています。

森の主とも呼ばれるご神木は樹齢500〜600年。何百年もの時間をかけてこの地に根を張り、今も静かにこの森を見守っています。

都市の真ん中にありながら、まるで時が止まったような神秘的な空間。実際に足を踏み入れると、都会の喧騒がすっと遠ざかる感覚があります。
「糺」という名の由来については諸説あり、「三角州(只州)」から来たという説のほか、清水を意味する「直澄(ただす)」、あるいは「正す」という意味に結びつける解釈もあります。
境内に点在する、知っておきたいお社
下鴨神社の境内には、本社をはじめとして44社が鎮座しています。それぞれに個性豊かなご神徳があり、参拝の目的に合わせて巡るのも、下鴨神社の楽しみのひとつ。ここでは、特に訪れてほしいお社をご紹介します。
河合神社──日本第一美麗神を祀る、女性の守護社

糺の森の入口近くに鎮座する河合神社は、「美麗の神」として深く信仰されています。御祭神は玉依媛命。玉のように美しいことから、美麗の信仰が始まったと伝えられています。
とくに有名なのが「鏡絵馬」。手鏡の形をした絵馬に自分でメイクを施して奉納するというユニークな絵馬です。女性を中心に人気を博し、容姿だけでなく、内面も磨いて美しくなるように絵馬に願いを託します。

相生社(あいおいのやしろ)──縁結びの御霊験あらたかなお社

下鴨神社の中でも古くから格別の信仰を集めている相生社(あいおいのやしろ)です。
御祭神は産霊神(むすひのかみ)。『古事記』に登場する造化三神の一柱の神様で、宇宙の生成力を神格化した神様です。「産(ムス)」は「苔むす」のムスと同じく「生成」の意味を持ち、「霊(ヒ)」は日・火と共通する霊妙なものを表す語と考えられているそうです。すべての縁を生み出す、根源的な力を持つ神様です。

お社の左側に目を向けると、「連理の賢木(れんりのさかき)」と呼ばれるご神木が祀られています。2本の木が一本に結ばれ、その根元には小さな子供の木が芽生えています。その姿は、縁結び・安産・育児・家庭円満のご神徳を体現しています。
このご神木は古くから京の七不思議のひとつに数えられ、歌謡にまで唄われるほどです。現在のご神木は4代目で、代を次いで糺の森に新たに生命が誕生するとされています。
縁結びのご利益を授かるお参りのご作法は、訪れる前に確認しておくのがおすすめです。

井上社(御手洗社)──みたらし団子の発祥と、足つけ神事

境内の御手洗池(みたらしいけ)のほとりに鎮座する井上社(御手洗社)。このお社の下には井戸があり、その水が境内へと流れ出ています。
御手洗池は、7月の土用になると池の周辺や川底から清水が湧き出すという不思議な現象で知られ、これも「鴨の七不思議」のひとつに数えられています。
じつはこの池、私たちの身近なある食べ物と縁があります。みたらし団子の発祥の地でした。池から湧き上がる水泡の形をかたどったものがみたらし団子の起源とされており、京都の和菓子文化とも深く繋がっています。

毎年夏の「足つけ神事(御手洗祭)」では、土用の丑の日の前後10日間、御手洗池の清水に素足を浸してお祓いします。池の冷たい水に足をつけると疫病や脚気にかからないと信仰され、現在ではガン封じなど無病息災を願う人々で終日にぎわいを見せます。


また、立秋の前夜には「矢取神事(夏越神事)」が行われます。池の中央に50本の斎串(いぐし)を立て、裸男たちが奪い合うというお祓いの神事。玉依媛命が矢を拾われたという伝説に由来し、安産・商売繁盛のご利益があるとされています。さらに、葵祭(賀茂祭)では斎王代御禊の儀がこの御手洗池で執り行われます。
言社(ことのやしろ)──あなたの干支の守護神
「大國さん」の愛称で呼ばれている言社は、御祭神が大国主命(おおくにぬしのみこと)です。
大国主命は記紀の神話にあらゆる名前で登場する神様で、その数はなんと7つ。この7つの御名にちなんで、境内には7つのお社があります。
▷一言社:大国魂命(未、巳)・顕国魂神(午)


▷二言社:大国主命(子)・大物主命(丑・亥)

▷三言社 大己貴命・志固男命・八千矛命

言社は干支の守護神としても古くから信仰されています。各お社の神様から御神徳があり、それを干支で表しています。子年から亥年まで、生まれ年の守護神として今も篤く信仰されているお社です。自分の干支・守護神に手を合わせる、そんな個人的なご縁を頂けるのが言社です。
なぜ、賀茂神社は2つに分かれたのか?
それでは、なぜ賀茂神社は分祀されたのでしょうか。
史料には崇神天皇の御代に神社の瑞垣が造営されたとされ、下鴨神社の創祀はこれを遡ることになります。「奈良時代中頃の天平勝宝2年(750年)には、すでに神田(神社の土地)があった」という記録があります。
下鴨神社が文献に初めて登場するのは『続日本後紀』の承和15年(848年)。2月21日条には、「賀茂御祖大社禰宜の下鴨県主広雄らが『去る天平勝宝2年(750)に御戸代田(神田)1町が奉充されましたが、これ以降、増えておりません。これでは足りませんので、賀茂別雷神社に準じて1町を加増してください』と訴えた」ということが記されています。
一方、それより前に編纂されたとされる『山城国風土記』(720年頃)には「賀茂御祖神社」という名前はまだ出てきていません。つまり、この2点を合わせると、下鴨神社の成立は720〜750年の間、つまり奈良時代のことだったと考えられます。
朝廷が恐れた「賀茂神社の力」
「どうして分祀が行われたのか」について、歴史学者の井上光貞氏は、著書『日本古代国家の研究』(1965年)の中で、ひとつの仮説を示しています。
「朝廷が賀茂神社の力を抑えようとしたから」というものです。

7世紀末から8世紀前半にかけて、賀茂神社で行われる「賀茂祭」は非常に盛大で、群衆が集まり、ときに乱闘が起きるほどの熱狂だったといいます。
実際、『続日本紀』文武天皇(698年)3月21日条、4月3日条などには、朝廷が賀茂祭の会集や騎射を禁止・制限する命令を何度も出していた記録が残っています。そこで朝廷は、賀茂神社をふたつに分割することで、賀茂氏の勢力を弱体化させようとしたと井上氏は推論しています。

井上氏は神社の分立に伴い、神官を務めてきた賀茂一族も分かれ、下鴨神社の社家鴨氏(鴨県主)の古系図を考証すると、分立後に下鴨神社の最初の禰宜を務めたのは、系図上の始祖大伊乃伎命之子(おおいのきのみことのこ)(賀茂建角身命の12世孫だという)の8世孫鴨主国と推定しています。主国は、古系図の注記によると、天平年間(729~749年)に禰宜になった人物とされます。
神社の分立は逆効果だった

この分立は朝廷の思惑通りにはなりませんでした。その後、都が平安京に遷されると、下・上賀茂の両社は皇室から篤い崇敬を受ける存在となり、「王城鎮護の神社」として伊勢神宮に次ぐ地位を築いていきます。
賀茂神社の力を弱めようとした試みは、結果的に2つの世界遺産の神社を生み出すことになったのです。
まとめ
上賀茂神社・下鴨神社は、もとはひとつの「賀茂神社」でした。 下鴨神社の成立は奈良時代(720〜750年頃)と推測されますが、朝廷による分立策の背景には、勢力拡大を恐れた朝廷の政治的な思惑がありました。しかし、結果的に2社は平安時代以降さらに重要な神社へと発展していきました。境内の44社には、美麗・縁結び・無病息災・干支の守護など多彩なご神徳があります。
上賀茂神社や下鴨神社を訪れる際は、ぜひ糺の森をゆっくりと歩きながら、この悠久の歴史に思いをはせてみてください。「上賀茂」と「下鴨」に分かれたその背景には、朝廷と賀茂氏の間に流れた、緊張と敬意の歴史が根付いていました。

賀茂御祖神社(下鴨神社)
世界文化遺産
075‐781-0010
〒606-0807 京都市左京区下鴨泉川町59
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🔶福永 あみ / Ami Fukunaga🔶
フリーランスライター兼ディレクター/英語講師
証券会社勤務を経て渡米し、ロサンゼルスの大学でテレビや映画を学ぶ。現地では執筆活動や映像制作に携わり、ライフワークとして日系アメリカ人の歴史の取材も行う。2011年に帰国後、出版社やNHKワールドジャパンなどで勤務。現在はフリーランスとして、英語講師やディレクター業の傍ら、ブログ「カルカフェ」を運営中。
神社仏閣や伝統工芸、美術、陶芸、ヨガなど、日本文化や暮らしを丁寧に楽しむライフスタイルを大切にしている。2019年には神社検定弐級を取得。最近は、日本の歴史を改めて学び直し中です。
このブログでは、そんな日々の学びや旅、映画やアートのことまで、心に響いたことを自由に綴っています。あなたの暮らしにも、小さな発見や癒しが届きますように——。