都会の喧騒を離れ、江戸の面影が今も残る「奈良井宿」へ。
中山道随一の長さを誇るこの宿場町には、漆の文化や木曽ひのきが息づき、職人たちの暮らしが静かに受け継がれています。雨上がりの石畳、まっすぐ伸びる古い家並み、ふと漂う五平餅の香り——。歩くほどに心がほどけていくような、穏やかな木曽路の旅へとご案内します。

【日本最長の宿場町へ】雨の奈良井宿を歩く・ゆっくり心がほどける木曽路の旅

新宿駅から、静かな週末旅へ
旅はここ、新宿駅から始まります。
朝のホームに並ぶ「あずさ5号・松本行き」の文字。

8時ちょうどの出発を待つ空気は、どこかそわそわしていて、これから始まる旅の幕開けを告げていました。三連休の週末。車内には高揚感と静かな期待が混ざり合い、都会のビル群はゆっくりと遠ざかっていきます。
立川を過ぎるころには家族連れの姿も増え、車窓には田園が姿を見せ始めました。
山梨に入ると、ぶどう畑がぽつりぽつり。

晴れていれば富士山や南アルプスが望める場所ですが、この日は曇り空。
それでも静かに流れる景色が、旅人の心をゆるりと落ち着かせてくれます。
やがて茅野、上諏訪へ。
「特急しなの号」の名残を思わせる地名が続き、諏訪湖の湖面がほんの少し顔を出します。
岡谷を抜け、塩嶺トンネルを過ぎれば——そこは信州の玄関口、塩尻。

列車は静かにホームへと滑り込みました。
塩尻駅から木曽路へ

塩尻といえば、ワインとそばの町。
帰りに寄りたいお店も多く、旅の楽しみがまたひとつ増えます。

乗り換え時間はわずか。
私たちは急ぎ足で中津川方面へ向かう中央西線へ。
いよいよ、中山道・奈良井宿を目指します。
車窓に広がるのはぶどう畑と山々。
天気こそ優れませんが、灰色の空が緑をふんわり包み込んでいました。
列車がゆっくりと揺れ、木曽路の旅がいよいよ本格スタート。
雨がしとしと降り、山あいの風景はどこか幻想的です。
そして——奈良井駅に到着。

列車を降りた瞬間、土砂降り。
人々が小走りで駅舎へ駆け込むなか、旅の相棒だった「あずさ号」を見送りました。
やがて雨も上がり、清らかな空気の中で小さな駅舎が静かに佇んでいました。
江戸の景観がそのまま残る町並み

奈良井駅は1909年(明治42年)開業。
駅舎を出ると、左手にまっすぐ伸びる旧中山道が迎えてくれます。

奈良井宿は木曽路の中でもとりわけ険しい山あいに位置し、
標高はなんと六甲山(940m)を超えるほど。
水と緑に恵まれた土地として知られています。

1978年には「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」に選定。
江戸時代の宿場町の姿が色濃く残る、日本を代表する歴史的町並みです。

町を歩いてまず驚くのは——
電柱が一本もないこと。
電線はすべて地中に埋設され、景観へのこだわりが徹底されています。

奈良井川に沿って約1キロ続く宿場町は、
下町・中町・上町の三つのエリアに分かれ、
歩くたびに違った表情を見せてくれます。
漆器と木材が育てた職人の町
奈良井宿といえば「漆器」。
漆は湿度70%ほどが固まる理想の環境と言われ、奈良井はまさにその条件がそろった土地です。

木曽の木材も質が高く、「木曽ひのき」は日本三美林のひとつ。
江戸城・名古屋城・駿府城の建築にも使われ、
徳川家康が尾張藩に管理を任せたほど貴重な木材でした。
こうした背景から、奈良井には自然と職人文化が根づいていったのです。
『木曽の大橋』は、木曽のひのきを使って造られた奈良井川に架けられた太鼓型の橋です。村の新しいシンボルです。



水と共に守られてきた町
奈良井宿の特徴の一つは、町中に点在する六つの「水場」です。生活用水と防災を兼ね備えた仕組みで、木造家屋が密集するこの町には欠かせない存在でした。

また、中山道を行き交う多くの旅人が水場で喉を潤しました。6箇所の水場は整備され、それぞれに水場組合があり、現在も維持・管理を行っています。

1837年の大火を最後に大規模火災はなく、
江戸時代の建物が奇跡的に残ったのも、こうした水の働きがあったからこそでした。
高札場・問屋・中村邸——歴史の深奥へ
京都側にある高札場は、旅人へのお知らせ版。江戸時代の幕府が定めた法律などを人々に周知させる目的で、お知らせ版に書き掲げていたものです。掟、条目、禁制などが書かれ、江戸時代の情報ステーションでした。

宿場町の高札場には、宿継ぎのお駄賃を定めた高札なども掲げられていました。明治の始め頃までこの高札場は使われました。その後、街道の廃止に伴って撤廃されましたが、当時の絵図に基づき、昭和48年に復元されたのが上の写真の高札場です。


通りの中央にそびえる「上問屋史料館(手塚家住宅)」は国の重要文化財。
1602年から約270年、宿場町の運営を支えた名家です。当時、幕府の役人や諸大名をはじめとする旅行者のために幕府の定めた伝馬と歩行役を常備し、旅行者の需要に対応していました。木曽11宿では、1宿につき25人の歩行役と25疋の伝馬を用意していたそうです。それらを管理運営していたのが問屋でした。
上問屋は、1602年から明治維新まで約270年継続して問屋を勤めながら庄屋を運営していました。その間、残された古文書や日常生活に使われた道具類を史料館に展示しています。


また、明治天皇が休憩された部屋が今も残り、そのままの姿を見学できます


2020年に文化財となった「中村邸」は、雪国ならではの屋根の工夫が見どころ。
均等に雪が乗るように設計され、昔の知恵が息づく建物です。
奈良井に眠る信仰の痕跡——マリア地蔵

1582年建立の大宝寺には、「マリア地蔵」が伝わっています。
首のない石像と、赤子に刻まれた十字架。


禁教の時代に壊され、山に埋められたと伝えられています。
奈良井宿の歴史が深く静かに感じられる場所です。
中町のにぎわいと、大名行列の名残

中町に差し掛かると、ふっと広くなる道幅。
大名行列がすれ違えるよう設計されているためで、
ここには江戸のにぎわいが今も漂っています。
旅人のお腹を満たす味わい

奈良井宿では、香ばしい香りがあちこちから。「木曽奈良井宿きむら」の前には行列ができていました。
- みたらし団子
- 五平餅
- おやき
- ぽたぽた餅

素朴で優しい味が、歩き疲れた体を癒してくれます。

なかでも五平餅は、くるみ・えごま・ごまの香りたっぷり。
みたらし団子は歯切れよく、甘すぎないたれが絶品でした。
そして奈良井は「そば街道」。
私たちが訪れた「そば処 山なか」では、そば粉100%の純手打ち麺。
細切りなのにしっかりコシがあり、喉越しも抜群です。


木曽地方の郷土料理である「すんきそば」や、温かい汁に蕎麦をくぐらせて食べる「とうじそば」が人気です。「すんき」とは、塩を使わずに植物性乳酸菌で発行させた漬物で、赤かぶの葉(かぶ菜)を使います。

「とうじそば」は、木曽安曇地域の伝統料理で、そばを鍋に投げ込んで食べることからとうじ(投じ)そばと言われています。

名前の由来は諸説あるそうですが、ざる状のお玉の中にそばを入れ、キノコや山菜の入っただし汁にしゃぶしゃぶして食べるそうです。次回はぜひ試してみたいです♪
終点・鎮神社へ

奈良井宿の終点にある「鎮(しずめ)神社」。
1618年、疫病を鎮めるため千葉から神様を迎えたのが始まりだといいます。

赤い鳥居をくぐると、中央にご神木がどっしり。
静かさの中に力強さが感じられる、地元で大切にされてきた場所です。
帰路へ——塩尻駅で味わう“駅そば”の名店

旅を終え、特急しなの号で来た道を戻ります。
塩尻駅では、行きに寄れなかった“日本一せまい駅そば店”へ。

待合室側とホーム側、どちらからも入れる不思議な造りで、まるでドラえもんのどこでもドアみたい。今回は冷やしそばを注文。次は温かいとろろそばにしようかな。



塩尻はぶどうの産地でもあり、駅周辺にはワイナリーも点在。
旅の余韻を静かに楽しみながら、今回の旅は幕を閉じました。
おわりに
日本最長の宿場町・奈良井宿。
江戸の面影をそのまま今に伝える、美しく穏やかな町。
歩けば歩くほど、心がすっと鎮まっていく——
そんな特別な時間をくれる場所でした。
皆さんもぜひ一度、奈良井宿の風景に会いに行ってみてください。
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🔶福永 あみ / Ami Fukunaga🔶
フリーランスライター兼ディレクター/英語講師
証券会社勤務を経て渡米し、ロサンゼルスの大学でテレビや映画を学ぶ。現地では執筆活動や映像制作に携わり、ライフワークとして日系アメリカ人の歴史の取材も行う。2011年に帰国後、出版社やNHKワールドジャパンなどで勤務。現在はフリーランスとして、英語講師やディレクター業の傍ら、ブログ「カルカフェ」を運営中。
神社仏閣や伝統工芸、美術、陶芸、ヨガなど、日本文化や暮らしを丁寧に楽しむライフスタイルを大切にしている。2019年には神社検定弐級を取得。最近は、日本の歴史を改めて学び直し中です。
このブログでは、そんな日々の学びや旅、映画やアートのことまで、心に響いたことを自由に綴っています。あなたの暮らしにも、小さな発見や癒しが届きますように——。