昨年9月から始まったNHKの連続テレビ小説「スカーレット」。ドラマの舞台は滋賀県甲賀市信楽町地区。主演の戸田恵梨香さんが女性陶芸家「川原喜美子」の波乱万丈な半生を演じています。喜美子のモノを作り続ける情熱に刺激を受けて、陶芸に興味を持たれた方もいるのではないでしょうか。
信楽焼はたぬきの町!?
家の食器棚に仕舞われた陶芸品を見て、「これって何焼き?」「産地は?」「何処の窯で作られた?」なんて考えていたら、それは陶芸にハマっている証拠(笑)。そこで、今回は信楽焼についていろいろご紹介したいと思います。
1.信楽焼の歴史
信楽焼のことを、主婦と生活社「初めてのやきもの作り」(孔雀ブックス)では、以下のように説明しています。
信楽焼:タヌキのやきもので知られる信楽焼は滋賀の甲賀が窯場。鎌倉から室町時代には壺、火鉢や土鍋、植木鉢などを作っていた。当時は無釉の焼き締めで、土の中の木片や小石が溶けて自然と釉の役目を果たした。この自然釉が窯の中で起こす変化に茶人が目を向け、桃山時代にその名を広めた。
甲賀市は滋賀県南部にあり、信楽焼の窯元が複数点在しています。近畿圏や中部圏をつなぐ交通の要衝で、大阪や名古屋は100㎞圏内。また、日本一大きい琵琶湖からの水源や良質な土の恵みによって、信楽焼は生まれました。
信楽焼の始まりについては未だ明確化されていませんが、平安時代後期(13世紀頃)に常滑焼の技術を滋賀の地に取り入れて発展したと考えられているようです。
陶磁器の素地となる土を胎土(たいど)と言いますが、長石を含む信楽胎土はとても良質なので、大物作りに適していると言います。
登り窯による高火度の焼成により焦げて、赤褐色の堅い焼き締めの肌合いになり、本来は素焼きですが、焼成中にかかる薪の灰によって暗褐色、淡黄、緑など多彩な色・肌合いに仕上がります。現在は、人工的な釉薬の開発が進み、さまざまな色合いの作品づくりが行われています。
なんと言っても、信楽焼の特徴の1つは、良質な土にあります。約6,500万年前、信楽陶土の原料となる花崗岩が山地に広がっていました。そして、約400万年前には、現在の伊賀付近に琵琶湖の原型となる古代湖があったと言います。今の位置になったのは約40万年前頃ということです。
古代湖の底に堆積した土砂や動植物の残骸などが層になり、そこへ花崗岩や流紋岩の風化物も流れ込み、焼き物に適した良質の土が生まれました。また、中部や関西圏へのアクセスの良さ、そして宇治や大阪、伊賀へと陶磁器を運ぶことが可能だったことから、焼き物の産地として発展しました。
16世紀には、全国で一番の消費量を誇る京都に近いこともあり、信楽の焼き物は供給され、繁栄していきました。戦国時代や安土桃山時代など、茶の湯の道具として使われてきたことも大きな特徴です。近現代には茶器のみならず、壺、タイル、植木鉢、狸の置物など、大小問わずあらゆる焼き物を生産しています。
2.信楽の概要
信楽のある甲賀は、かつては「コウカ」と読み、日本書紀の中には、百済から「鹿深臣(カフカノオミ)」と言われる豪族が来たと記述されています。現在でも甲賀市には 「鹿深( カフカ )」 の字名が残り、それが語源となって 「コウカ」 と呼ばれるようになったそうです。
また、忘れてはならないのが、ここは甲賀流忍者発祥の地であること。近年、民家で史料が発見されたことで、さらに研究が進んでいます。
信楽(しがらき) Shigaraki Prefecture
- 面積:481.62km²
- 人口:91,306人 ※2017(平成29)年2月現在
- 気候:平均気温 12.3℃、年間降水量 1,723mm ※2017(平成29)年現在
- 名産品:窯業、薬、朝宮茶、土山茶など
- 焼き物事業所数:79、就業人数:486人 ※2016(平成28)年現在
- 全盛期[1992年12月]の事業所数:135、就業人数:1303人)
3.日本六古窯とは?
日本六古窯(にほんろっこよう)は、中世六古窯とも呼ばれ、日本を代表する陶磁器の産地として有名です。国内には、平安時代末期から続いてきた古い窯が沢山ありますが、その中でも後世に受け継がれた大きな産地の6つの窯を六古窯と言い、 「瀬戸」「常滑」「越前」「信楽」「丹波」「備前」を指します。
- 瀬戸窯(せとよう:愛知県瀬戸市)
- 常滑窯(とこなめよう:愛知県常滑市)
- 越前窯(えちぜんよう:福井県丹生郡越前町)
- 信楽窯(しがらきよう:滋賀県甲賀市信楽町)
- 丹波窯(たんばよう:兵庫県篠山市今田町)
- 備前窯(びぜんよう:岡山県備前市伊部)
六古窯を命名したのは、古陶磁研究家である小山富士夫(1900~1975)です。 2017年春には、「日本遺産」に認定されました。
4.狸の焼き物
愛嬌のある眼差しを向けている、このなんとなく憎めない狸の焼き物。信楽では、あらゆる場所で出会うのが、この狸たちです。なんと、狸の焼き物の形は「八相縁起」と呼ばれる縁起を表しています。
信楽焼の狸の焼き物は歴史が浅く、明治時代に陶芸家の藤原銕造氏が最初に作ったと言われています。 他にも、文化庁の「旅する、千年、六古窯 」プロジェクトが制作したサイトによると、たぬき文化研究家・石田豪澄氏によって「信楽狸八相縁起(しがらきたぬきはっそうえんぎ)」は公安されたとあります。八相縁起の説明は以下の通りです。
- 笠:思いがけない災難を避けるために普段から準備。
- 大きな目:周囲を見渡し、気を配り正しい判断が出来るように。
- 徳利:人徳を身につける。
- 太いしっぽ:何事もしっかりと終わる。
- 笑顔:いつも愛想よく。
- 大きなお腹:冷静さと大胆さを持ち合わせる。
- 通い帳:信用が一番。
- 金袋:金運!
さて、信楽と言えば狸!というイメージが定着したのは、昭和天皇の信楽行幸でした。1951(昭和26)年11月15日、日の丸の小旗を持った狸たちが沿道にずらりと設置され、延々と続くその光景に感銘を受けた昭和天皇が詠んだ歌が新聞に報道され、全国に知られるようになったそうです。
昭和天皇が詠まれた歌はこちらです。
「幼なとき集めしからに懐かしもしがらき焼の狸をみれば」
1951年・信楽町行幸にて、昭和天皇の詠まれた歌
信楽町長野・新宮神社鳥居の横には歌碑があり、それにはこの歌が刻まれています。
5.まとめ
琵琶湖の恵みを受けた信楽焼きは如何でしたか? 昨今では、大小を問わず、伝統と最新技術を融合させ、新たなモノづくりに挑戦し続けています。昔、少し陶芸をやっていたこともあり、朝ドラでろくろを回す喜美子を観ていたら、またやりたくなってしまいました(笑)。時代とともに進化してきた信楽焼。これからもどんなステキな作品を見せてくれるのか楽しみですね。