こんにちは!今回は鎌倉・神社仏閣シリーズ➀として、鎌倉最古の寺院『杉本寺』を訪ねました。
行基菩薩が開山した杉本寺では、青々とした苔の階段はじつに見事で、鎌倉の歴史と自然を感じられるおすすめのスポットです。
鎌倉・神社仏閣シリーズ➀
それでは杉本寺をご紹介します。
❶杉本寺(すぎもとでら)
- 宗派 天台宗
- 山号寺号 大蔵山杉本寺(だいぞうざんすぎもとでら)
- 建立 8世紀
- 開山 行基(ぎょうき)
- 開基 光明皇后(こうみょう)
杉本寺は、神奈川県鎌倉市二階堂にある天台宗の寺院で、山号は大蔵山です。鎌倉最古の寺院とされ、本尊は十一面観世音菩薩を安置しています。鎌倉時代に創設された観音霊場めぐり坂東三十三ヶ所の一番札所であり、また、昭和初期から設けられた鎌倉三十三ヶ所でも一番札所です。
奈良時代から続く霊場
杉本寺の本堂は山の中腹にあり、石段を登り、仁王門をくぐり進むと、観音堂が見えてきます。このお寺は鎌倉街道沿いにあり、自然豊かで、境内に一歩入ると荘厳な雰囲気に包まれます。まるで時が止まったような異空間が広がり、心身ともにリラックスできる場所です。
参道途中にある苔むした石段が有名で、多くの人々に篤く信仰されています。また、この寺の本堂は県指定文化財に指定されています。
アクセス
鎌倉駅から京急バスを利用しました。4番のりば「杉本観音」バス停下車で徒歩1分です。
鎌倉駅から歩くと25分ほど。鎌倉の街を眺めながらの散策も楽しいですね。ちなみに車でお越しの方は杉本寺専用駐車場はないそうなのでご注意ください。
杉本寺公式サイト:https://sugmotodera.com/
〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂903
TEL : 0467-22-3463 FAX : 0467-22-5977
拝観時間
9:00〜16:00(15:45受付終了)
拝観料
一般(高校生以上)300円
中学生 200円、小学生 100円
※本堂内での参拝も可能
◎杉本寺について
杉本寺の案内には次のような紹介がありました。
鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代(8世紀)に、行基が開いたと伝える鎌倉最古の寺です。行基は奈良の大仏造営への貢献や貧民救済の社会事業などで知られています。
その後、光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われています。
本尊の十一面観音三体は、国または市指定の重要文化財で、うち一体は行基の作とされています。
坂東三十三観音霊場の第一番札所で、8月10日の縁日は参拝者で賑わいます。
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◎About Sugimotodera Temple
This is the oldest temple in Kamakura. It is said that the priest Gyoki established the temple during the Nara Era(8th Century), 500 years before the rise of the Kamakura Shoganate. Gyoki is known for his social works, including his support of the contruction of Nara's large Buddha and his care for the poor.
Later, the mail building of this temple was constructed following a donation from the Empress Komyo.
The temple's principle objects of worship are the three statues of the eleven-faced Goddess of Mercy, all of which are designated as important National Cultural Proporties and Kamakura Impotant Cultural Properties. One of the statues is said to have been made by the priest Gyoki himself.
This temple is the first stop in the pilgrimage of the 33 places sacred to Kannon, in the Bando area. The temple's festival day occurs on August 10th, when it is crowded with worshippers.
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金沢街道沿いからすぐの石段の上には茅葺屋根の仁王門があり、山門を守る仁王像は運慶作と伝えられています。
仁王門をくぐり、左側の石段を上ると右側に本堂が見えてきます。十一面観音と書かれた幟旗や萱葺屋根が歴史を感じさせます。
本堂の正面入り口。堂内には十一面観音像の他にも貴重な仏様が祀られています。残念ながら堂内での撮影は禁止となっています。
- 秘仏本尊 十一面観音 行基菩薩御作(覆面・下馬観音)
- 秘仏本尊 十一面観音 慈覚大師円仁御作(国重要文化財)
- 秘仏本尊 十一面観音 恵心僧都源信御作(国重要文化財)
- 毘沙門天王 宅間法眼作
- 御前立十一面観音 運慶作(源頼朝公寄進)
- おびんづる様 作者不明
- 地蔵菩薩 運慶作
- 地蔵菩薩 安阿弥(快慶)作
- 新十一面観音 当山 先住職 慈海僧正作
- 不動明王 作者不明
- 観音三十三身 運慶作
本堂の右奥の壁には、今上天皇が皇太子時代にご参拝された時の写真と、その後、美智子さまとともに再び来られた時のものが飾られていました。少なくとも2度も天皇陛下が来られたということは、重要な寺院と言えます。
本堂の右奥にある権現堂です。白山・熊野三山に祀られる熊野神が勧請されたものだそうです。
本堂の右手にあります。近くには五輪塔などの石塔や石仏が多く祀られています。
弁財尊、財宝、利得の神をお祀りしています。こちらの弁財天堂をお参りすると大きな蔵が建つほど富に恵まれるという古来からの言い伝えがあるそうです(^^)。
2.ちょこっと歴史:天台宗について
天台宗は、806年(延暦25年)に最澄によって開かれた宗派です。最澄は滋賀県坂本にある生源寺の辺りで生まれたと伝えられています。12歳で近江国の国分寺に入門し、行表法師の弟子となり、最澄という名を頂きます。
785年(延暦4年)、一人前の僧侶となるために奈良の東大寺に入り、具足戒(250戒)を受け、国に認められた正式な僧侶になりました。
受戒後3ヵ月ほどで奈良を離れ、さらに自らを高めるための最良の地として、比叡山で修行するために入山します。若き僧の最澄は願文を作り、一乗の教えを体得するまで山を下りないと、御仏に誓いました。
願文の中で、
「私たちの住むこの迷いの世界は、ただ苦しみばかりで少しも心安らかなことなどない。(中略)人間として生れることは難しく、また生れたとしてもその身体は儚く移ろいやすい」
と、世の中の無常と人間の儚さを自覚されました。そして、
「因なくして果を得、この処(ことわ)りあることなく、善なくして苦を免がる、この処(ことわ)りあることなし」
と因果の厳しさを述べ、だからこそ生きているときに善いことをする努力を惜しんではならないと考え、『願文』の中で五つの心願を立てられました。
その後、延暦7年(788)に一乗止観院(後の根本中堂)を創建し、本尊として自ら刻んだ薬師如来の仏像をお堂に安置され、灯明を点じました。この灯明は多くの人々に受け継がれ、1200年以上もの間、「不滅の法灯(ふめつのほうとう)」として比叡山の根本中堂に灯され続けています。
比叡山での修行中に、中国の仏教書を読み、中国天台宗の祖である天台大使智顗(ちぎ)の教えを学びます。法華経を中心とする天台の教えこそがすべての人々を仏へと導くための最善の教えであると確信。天台の教えを講義し、伝教大師として広く知られるようになりました。
ところが、経典などの本の知識だけでは満足できず、中国の天台山に行って正しい天台宗の教え、天台大師智顗の教えを極めたいと願うようになりました。802年(延暦21年)、桓武天皇により、唐に派遣することが決定され、念願の入唐が叶います。
翌年の803年(延暦22年)4月に遣唐使一行は難波(大阪)を出発しましたが、暴風雨で九州に一年間留まりました。翌年7月に肥前国田浦(平戸)を再出発し、激しい荒波にもまれながらもようやく9月1日に明州(みんしゅう)浙江省寧波(せっこうしょうにんぽう)に到着しました。一緒に航海した4船のうち2船は遭難し、空海の乗っていた船もはるか南へと流されるという命がけの厳しい航海でした。
中国天台山に赴き、修禅寺の道邃(どうずい)・仏隴寺(ぶつろうじ)の行満(ぎょうまん)に天台教学を学び、典籍の書写をします。その後禅林寺の翛然(しゅくねん)より禅の教えを受け、帰国前には越州(えっしゅう、現在の紹興)で、順暁阿闍梨(じゅんぎょうあじゃり)から当時唐で盛んだった密教の伝法を受けます。こうして、円密一致といわれる日本天台宗の基礎を築きました。
帰国後、高尾山寺で奈良の学僧たちに日本で初めて密教の灌頂(かんじょう)を授けるなど、入唐求法の成果を明らかにしました。
この当時、「仏になれるもの、仏になれないものを区別する」という説もありましたが、「すべての人が仏になれる」と説く法華経に基づき、最澄は日本全国を大乗仏教にしなければならないと願い、法華経の一乗の精神による人材養成を目指します。
こうした最澄の熱意が形となり、806年(延暦25年)、国家公認の僧侶2名に認可の官符が発せられました。このことから1月26日は天台宗開宗の日となりました。
最後に、平安末期から鎌倉初期にかけて、比叡山に各宗派の開祖たちが学びに来ました。法然、栄西、親鸞、道元、日蓮たちが学んだ比叡山は日本仏教の母山と呼ばれるようになりました。
略縁起
731年(天平3年)、東国を旅していた行基が、この地が観音様を祀るのにふさわしい場所と考え、自ら彫った十一面観音を安置したことから始まりました。734年(天平6年)、光明皇后が観音菩薩のお告げにより東国の治安の安定を願い、右大臣・藤原房前(ふじわらのふささき)と行基の協力で、本堂が建立されました。ご本尊は以下の通りです。
秘仏本尊十一面観音
734年(天平6年) 行基菩薩御作 (覆面・下馬観音)
行基(ぎょうき)
行基は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した日本の仏教僧です。当時、朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆への直接布教を禁止していました。しかし、行基はその禁を破り、行基集団を結成し、畿内を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説きました。
当初は朝廷から度々弾圧や禁圧を受けましたが、民衆の圧倒的な支持を得て、その力を結集して逆境を跳ね返しました。その後、行基は大僧正(日本初。大僧正は最高位である)になり、聖武天皇により奈良の東大寺の大仏造立の実質上の責任者として招聘されました。この功績により、東大寺の四聖の一人に数えられています。
秘仏本尊十一面観音
851年(仁寿元年) 慈覚大師円仁御作(国重要文化財)
円仁(慈覚大師)が参詣し、十一面観音菩薩を自ら刻み安置しました。
秘仏本尊十一面観音
986年(寛和2年) 恵心僧都源信御作(国重要文化財)
花山法皇の命により、源信(栄心僧都)が十一面観音菩薩を自ら刻み安置しました。その後、花山法皇が巡礼したと伝えられています。
三体の十一面観音様は、寺伝によると1189年(文治5年)の火災で堂宇が焼失した際、本尊の観音像三体が自ら本堂を出て、境内の大杉の下に避難したと伝えられています。このことから「杉の本の観音」と呼ばれるようになりました。
『吾妻鏡』によると、中世には大倉観音堂と呼ばれており、1189年(文治5年)の火災時には別当浄台房が炎の中から本尊を持ち出し無事であったとされています。
※吾妻鏡は1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの87年間に起きたできごとをまとめた歴史書。その内容から将軍記の一面も持ち、鎌倉幕府初代将軍源頼朝から6代将軍宗尊親王(むねたか)の時代までが記されています。
茅葺(かやぶき)屋根について
昔は20年もつといわれていた茅葺ですが、近年の温暖化などの気候変動により、現在では10年もつかどうかという現状だそうです。仁王門や本堂の茅葺屋根を守り、次世代へと伝えていくために引き続きご浄財を募っています。一束三千円で受け付けています。ぜひ皆さんもご協賛のほどお願い致します。
◇🔹おすすめの鎌倉のおみやげ🔹◇
鎌倉のおみやげと言えば、やっぱり鳩サブレ―でしょう!1894年(明治27年)創業という明治生まれの銘菓です。の久しぶりに食べましたが、袋を開けた瞬間、バターの香りが広がりました。
◎鳩サブレ―🕊
株式会社豊島屋 https://www.hato.co.jp/
まとめ
何度も鎌倉に来ていますが、杉本寺は初めて。苔が瑞々しく、新緑の時期に来て大正解でした。鎌倉・神社仏閣シリーズ②では『報国寺』をご紹介します。杉本寺から歩いて5分で行ける距離です。お楽しみに!
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🔸Author:あみ(Ami)🔸
メディアプロデューサー/英語講師
日本の私立短大家政科卒。証券会社に就職後、渡米。大学でテレビ、ラジオ、及び映画制作を学ぶ。卒業後、日本のテレビ・ラジオ・出版などマスメディアの仕事に従事。趣味は日本文化・伝統芸能・ヨガ・旅行・料理。近年は心理学・歴史・神社仏閣の造詣を深める。2019年、神社検定弐級合格。