昔の映画というと、可憐で控えめな女性がよく登場していました。現在はというと、社会的な成功や心身の強さを追求するたくましい女性が多く描かれるようになりました。映像から世代によって理想の女性像が違うことが実感できます。
確かにシンデレラストーリーよりも敵を倒したり、ライバルを出し抜く作品などが増えてはいますが、やはり気持ちが落ちている時や弱った時には、主人公がどんどん元気になっていく、ますます綺麗になっていく映画が観たくなります。この点は世代を超えて皆同じでしょう。
ブルーな時こそ、映画の世界にどっぷり浸かり、新たな可能性、失敗しても負けない強さ、または希望を感じ、選りすぐりの映画を観てエネルギーをたくさんもらいましょう♪
そこで今回は、無性に観たくなる「女子に人気の映画ベスト5」をご紹介します。各作品のトリビアも満載です。合わせて読むと10倍より深く楽しめます。男性にも人気の作品もありますので、ぜひご覧くださいね。
【おすすめ】女子お気に入り映画ベスト5
選りすぐりの5作品です。日本国内のみならず、世界でも人気を誇る作品ばかりです。それでは5位からご紹介します!
5位 バーレスク(Burlesque)
クリスティーナ・アギレラが初主演の作品。ポップスのディーバとして君臨するシェールとの共演が話題となったミュージカル映画です。
主演のアギレラというと、2008年にローリング・ストーン誌が選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」が発表され、その中で彼女は第58位にランクイン!抜群の歌唱力を持っている偉大なシンガーです。100人の選出には、編集者、ミュージシャン、プロデューサー、音楽関係者など179人が史上最も偉大と思うシンガーを20人選び、ローリングストーン誌が集計したものです。
片やシェールは、1960年代から2010年代の50年間、ビルボードのチャートで各年代に1位のヒット曲を持つ唯一のシンガー。しかも、1987年の映画「月の輝く夜に(Moonstruck)」でアカデミー賞の主演女優賞も獲得していて、まさにザ・トップスター!意外にもミュージカル映画は本作が初めてだそうです。
そんなアギレラとシェールの2大トップスターが主演するこの作品の見どころは、やはり舞台での華麗なダンスシーンでしょう。シェールが身につけていた斬新で華やかな衣装のほとんどは、自前だそうで、その中の何点かは旧知の仲であるファンションデザイナーのボブ・マッキーによるもの。パフォーマーの個性とマッチする衣装を手掛けています。
誰もが知っているマリリンモンローの「ハッピーバースデーミスタープレジデント♪」と歌った時のドレスですが、あれは彼のデザインです。
🔼Julien's Auctions: Bob Mackie Draws Sketch Mar
主役は他の女優が候補だった!?
主役のニッキ役に当初候補に上がっていたのは、エマ・ストーンだったそうです。他にはジェシカ・ビールやリンジー・ローハンの名前が上がっていたとか。
バーレスククラブのパフォーマンスの女性ダンサーの代役は、ほとんどはラスベガスのバーレスク劇団からポップグループに転向した「プッシーキャット・ドールズ」だそうです。
元のエンディングはかなり違っていて、オリジナルのものはプリティーウーマンへのオマージュとしてデザインされていました。改訂されたエンディングでは、ジャックとアリが戦いの後でテスのクラブの舞台裏で再会し、ジャックが取り組んでいた曲の完成版をアリに差し出します。
本作の撮影にあたり、アギレラはバーレスクの歴史を学び、バーレスクとドラックカルチャーを研究したそうです。「私は本を集め、ツアーでバーレスクスタイルで遊んだり、視覚的なコンセプトや曲を調べたりしました」と、後に彼女は言っています。
ちなみに、アギレラの父は米陸軍軍曹だったので、父の仕事のために彼女は世界各地の米軍基地で育ち、なんと、3歳から6歳まで日本に住んでいたとか。
4位 アメリ(Amelie)
少女の面影を残したまま、悪戯っぽさや可愛らしさを持つ主人公のアメリ。独特なアメリの世界観が映像の色彩や音楽、そして物語に溢れ、先の読めない彼女の行動を、彼女の声や表情からは想像できない予外な展開に良い意味で裏切られる楽しい映画です。アメリの妄想にどっぷり浸かってしまうかも!?
当初は、アメリ役は別の女優が演じる予定でした。脚本はその女優のイメージを想定して執筆する「当て書き」でしたが、なんと、その女優は降板することに。その人は、イギリス人女優のエミリー・ワトソン。ジャン=ピエール・ジュネ監督は、代役を探しますが、想像以上に難航したといいます。
オドレイ・トトゥとの出会い
当時新人だったオドレイ・トトゥがアメリ役のオーディションに応募し、監督とその時に出会います。彼がオドレイのカメラテストをしている段階で、自分のアメリ像にピッタリだと感動し、嬉しすぎて涙で目がかすんでしまったそうです。
アメリの原題(フランス語)は、「Le Fabuleux destin d'Amélie Poulain(アメリ・プーランの素晴らしい運命)」。彼女の名前がフルネーム(アメリ・プーラン)と分かるタイトルになっています。プーランはフランス語で仔馬という意味で、誰もが知る国民的チョコレートメーカーの名前でもあるそう。チョコのパッケージには仔馬の絵がロゴに使われています。
『アメリ』の舞台となった街はパリのモンマルトルですが、アメリの世界観を作り上げるために、撮影現場は徹底的に清掃し、落書きもすべて消したそうです。初めてニノに会うシーンで使われた地下鉄アベス駅では、構内の壁一面の大型ポスターはすべて映画撮影用に張り替えたものだとか。
ありとあらゆる手段で街をカスタマイズして、ファンタジックな世界観を演出したジュネ監督。こだわりが詰まった唯一無二の素晴らしい作品です。
アメリが働くカフェ「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン」
アメリが働くカフェ「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン」(‘’二つの風車‘’という意)は、現に実在していました。撮影前からジェネ監督はモンマルトルに住み、このカフェで映画の構想を練っていたそうです。いろいろ思考を重ねているうちに『アメリ』の制作が具体化し、実現に向けて動き出したといいます。
その後、ジェネ監督はカフェの店主に撮影の舞台に使わせてもらえるかお願いに行きます。監督自身もカフェは行きつけだったそうです。
ところが、カフェの店主から最初は断られてしまったそうで、撮影が実現するまでには長い月日がかかりました。それでもジュネ監督はあきらめず、店主に粘り強く交渉を続け、最終的には撮影許可をもらいます。
しかし、もらった撮影期間はたったの3週間。店を貸し切って撮影を始めたものの、周辺の人たちに迷惑をかけないようにして控えめに行われました。
カフェ・デ・ドゥ・ムーランが実在するのは映画公開時からの有名な話で、公開当時はもちろんのこと、今でも『アメリ』ファンが訪れるお店のひとつになっています。
コリニョン氏の八百屋さん
コリニョン氏の店として映画に出ていたのは「オ・マルシェ・ドゥ・ラ・ビュット」。モンマルトルにある雑貨屋で、映画で観たそのままの外観が特徴です。
ジュネ監督はこちらのお店もよく利用していて、大好物であるプーランのチョコレートをよく買っていたとのこと。『アメリ』ファンなら、パリに行ったらちょっと立ち寄ってみたい場所ですね。
コリニョン氏の店で働くリュシアンは右手が不自由ですが、人と関わるのが苦手なアメリが唯一好感を持つ人物として描かれています。実際にリュシアンを演じたモロッコ系フランス人俳優のジャメル・ドゥブーズは幼い頃に右手を怪我して不自由になり、それからというものポケットに右手を入れるようになったそう。
赤と緑が基調のオシャレなアメリの部屋
アメリのユーモア溢れた部屋をデザインしたのは、ドイツ人の画家ミヒャエル・ゾーヴァです。赤と緑をベースにアヒルや犬などの動物の絵が飾られた可愛らしい空間が印象的です。
ゾーヴァは、オペラの舞台美術で知られた画家だそうで、ジュネ監督の依頼を受けて『アメリ』の美術担当を受けてから、世界的に知名度が上がりました。アメリの部屋のランプや絵画はゾーヴァの作品です。
調べてみると、日本でも2018年に新作絵画展をやっていました。その他にも講演会や絵本の挿絵などでも注目を集めています。
ゾーヴァは1945年にベルリンで生まれ、92年、ヴィルヘルム・ブッシュ美術館でのグループ展『二つの世紀』で成功を収め、それをきっかけに画家として本格的にデビューしました。
98年、フランクフルトのオペラ座で『魔的』の舞台美術で注目を集め、その後ジェネ監督に依頼され、『アメリ』の制作に携わりました。ゾーヴァのユーモア溢れる作風がアメリの世界をより一層ミステリアスにしていることは間違いなさそうです。そこが見どころのひとつに違いありません。
ニノを演じたマチュー・カソヴィッツはフランス出身の俳優ですが、父親がユダヤ系ハンガリー人の映画監督ペテ・カソヴィッツ。そんな父の背中を見て育ったせいか、映画に興味を持ち、高校卒業後には現場の裏方で働き始めました。ニノがアメリに翻弄されていく姿も見どころですね。
父親思いのアメリがした面白エピソードとは?
アメリの母アマンディーヌが亡くなってからすっかり塞ぎ込んでしまった父ラファエル。時々実家に戻って父と食事をするアメリですが、「心ここにあらず」の父の姿に心を痛めます。なんとか元気を取り戻してほしくて、彼女はある行動にでます。その行動とは?
深夜に実家の庭に忍び込み、父が大切にしていたドワーフ人形を持ち出します。後日、父は娘にドワーフ人形が盗まれたことを知らせますが、その後何事もなかったように月日が流れていきます。
ある日、ラファエル宛にドワーフの名前で絵葉書が送られてきました。それは一度だけでなく、世界各国のさまざまな観光名所に佇むドワーフが映っていました。
じつは小人からの絵葉書は、キャビンアテンダントをしている友人のフィロメーヌに頼んで、仕事で訪れた世界各国から写真を撮ってもらい父宛に絵葉書を郵送してもらっていたのでした。
父ラファエルは、最初は混乱していましたが、次第にその珍事を楽しむようになり、そのうち楽しそうなドワーフの姿に触発され、自らも旅に出るようになります。
ドワーフ人形のエピソードには元ネタがあった!
実はこのドワーフ人形のエピソードには実話がありました。2010年に放送された「アンビリバボー」の番組で、『カエルのミステリーツアー』が紹介されました。実際にジュネ監督がこの話を脚本に取り入れたかどうかははっきりしませんが、心温まる話として話題になったのでここでご紹介します。
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『カエルのミステリーツアー』
マサチューセッツ州にガソリンスタンドを経営していたジョン・ナイトさんとその妻ガートルードさんが住んでいました。2人は一緒に旅行することが好きでした。
ところがジョンさんが65歳の時に脳腫瘍を患い、腫瘍を摘出したにもかかわらず車いす生活を余儀なくされました。追い打ちをかけるように呼吸器系の病気にもなり、酸素ボンベ無しでは生活できなくなりました。そんな状態では旅行どころか外出さえできないとジョンさんは落胆します。
担当医からは「状態が悪化することはあっても回復することはないでしょう」と言われ、妻のガードルードさんは夫を励ましますが、ジョンさんは救いようもない現実に打ちのめされていました。
そんなある日、庭先で掃除していたガートルードさんは、庭に飾っておいたラブチェアにカップルのカエルが座った置物で、片方のオスのカエルが消えていることに気づきました。知らぬ間に盗まれていたのです。
西洋ではカエルは自然の守り神
アメリカ北西部の先住民はさまざまな種類の動植物をモチーフに使っていました。それぞれの動物には意味があるといいます。カエルは、安定、純真・コミュニケーションの象徴とされ、カエルは二つの世界観があり、地上と水中の両方で生活をしています。地上と水中の世界を知るカエル。違う世界を生き抜くカエルはコミュニケーション能力に長けているだけでなく、オタマジャクシからカエルに劇的に変化することから新しい人生のシンボルとして考えられています。また、春の象徴とも言われ、自然の守り神としても崇められているそうです。
ナイト夫妻にとって大切なカエルの置物がなくなり、探しても見つからず、ジョンさんはさらに落ち込みました。ガートルードさんは、「きっとカエルは見つかるわ」とジョンさんを励ましますが、「全くついてないんだよ、俺は…」絶望してしまいます。
それから2週間後のこと。二度と帰ってくることはないとあきらめていた時でした。ナイト夫妻の住む町から100キロほど離れたメリーランド州から出された手紙が届きました。同封された写真に、なんと探しても見つからなかったカエルが写っていました。手紙には、
「芝庭にじっと座っているのはうんざりなんだ。どこかに行きたくて仕方がなかったんだ。2人に愛をこめて。カエルより」
と乱暴な字で書かれていました。
まさか、カエルが家出した!?
それから数週間経ち、再び手紙が届きました。
「パパとママへ。元気にしているかい?僕はとてもよくしてもらっているよ。ちょうど今ニューヨークにいるんだ。クリスマスにはきっと帰るよ。僕の彼女のこと、頼んだよ。またすぐに手紙を書くよ。愛をこめて。フィル」
手紙の中に、ニューヨークの街をバックにカエルが写っている写真が一緒に入っていました。カエルは自分のことをフィルと名乗りました。
この話が近所で広まり、地元の新聞社が取材に来たことでこの事件は有名になりました。ところが、ジョンさんは気分を害し、「年寄りをばかにしやがって。誰がこんなことするんだ!」と憤りを隠せませんでした。
世界を飛び回るカエル
カエルが居なくなって1ヵ月が経ったある日、カエルはなんと海を渡り、イタリア、スイス、スウェーデンにも出没するようになりました。得体の知れない手紙に困惑するナイト夫妻。テレビ局もその事件を取り上げ、全米で話題になりました。
行方が分からぬまま、カエルは旅を続けていました。アムステルダム、ブリュッセル、ラスベガス、そして東南アジアまで足を延ばしていました。なんと日本にも滞在していたのです。その様子を次のように手紙に書いています。
「日本でぼくは人気者になっているよ。この前、相撲レスラーという巨人に戦いを挑まれたんだ!」
インドネシアからの手紙には、「相撲の試合に勝った賞金で豪華クルーズで旅を満喫してるよ」
ロサンゼルスのビバリーヒルズからは、「ママとパパへ。ここは僕みたいな大金持ちのカエルがいっぱいいるよ」
フランスのパリからは、「やあ、ママとパパへ。あまりこの街には長くいられないよ。だってカエルの足は美味しいって話を聞いたんだ」
ナイト夫妻に届いた手紙に変化が見られました。書き出しはいつの間にかママとパパになり、字体も柔らかく変わっていきました。
カエルの手紙が心の支えに
手紙の変化に合わせるかのように、手紙を読むナイト夫妻の心も徐々に変わっていきました。「考えてみれば嬉しいものだね。僕たちのカエルが代わりに世界中を旅してくれているんだよ」いつしかカエルからの手紙は、元気を失っていたジョンさんを勇気づけていました。病気がちのジョンにとって、世界中から届く手紙を心待ちにすることで少しずつ元気になっていました。
失踪してから半年が経ったある日、楽しみにしていた手紙が届きました。手紙には、「ガールフレンドは僕がいなくて寂しがっているかなぁ。今度のクリスマスには帰るよ」と書いてありました。
ナイト夫婦は喜びました。「ツリーを飾りましょうか」とガートルードさんが言うと、ジョンさんは車いすから立ち上がり、なんと手放せなかった酸素ボンベを外しました。「カエルが帰ってくるんだ。出迎えてやらんとな。すっかり励まされちまったようだ」
その後、電話がかかってきました。ガートルードさんが出ると、男性の声で、「12月21日の正午にカエルが帰ってくる。注意しておくように」と名乗らずにそのまま電話は切れました。
21日の正午。地元でうわさが広がり、普段はひっそりとしたナイト夫妻が住むブリストル通りは大騒ぎになっていました。緊張しながら帰りを待つ夫妻。正午になった瞬間、白のリムジンが家の前に到着しました。後部座席に乗っていたのは、失踪したカエルでした。
リムジンの運転手は後部座席へ回ると、もう一対のメスのカエルへ贈るシャンパンと花束とともにカエルのフィルをガートルードさんに手渡しました。運転手は、見知らぬ男性に頼まれて、Mr.フロッグを乗せるようにと指示されたと言います。
犯人からの手紙
妻は夫にカエルを手渡し、「帰ってきたわよ」と告げました。ジョンさんはカエルを愛おしく抱きしめ、「疲れただろう。お帰り」と語りかけました。
そして運転手は預かっていた最後の手紙を手渡しました。
親愛なるナイト夫妻へ
カエルのフィルを家へ送り届けるのがクリスマスに間に合って良かったです。ほんのジョークのつもりがこんな大騒ぎになるなんて思いもしませんでした。お二人は私を知りませんし、私もお二人にお会いしたことはありません。親友と私が全く勝手にやったことです。フィルのことは大事にしていました。フィルは有名になってしまったみたいなので、これからは家に置いてあげて下さい。楽しいクリスマスをお過ごしください。
カエル誘拐犯より
ガートルードさんはふと、「息子みたいね」と言うと、ジョンさんは「いやこの子はサンタクロースさ。大切なものをプレゼントしてくれたんだから」と微笑みました。この子からの手紙にどれほど勇気をもらったことか、二度とクリスマスを迎えることはできないと思っていたのに。ありがとう」と目を潤ませました。こうして二人にとって最高のクリスマスを迎えることができたのでした。
カエルに元気をもらったジョンさん。次第に病気を回復し、車いすで旅行ができるようになりました。
犯人と対面
その後、全米ネットの番組にナイト夫婦が出演し、誰がカエルを盗み、手紙を送り続けたのか、何の目的で行われたのか明らかになりました。つまり、犯人がこの番組に登場したのです。
ナイト夫妻と同じ街に住むタトゥーアーティストのフィルと遊び仲間の船乗りのリチャードが犯人でした。リチャードが実家の父親からカエルの置物を大切にしている夫婦のこと聞いたことがきっかけでした。2人はそこでいたずらを思いついたと言います。「カエルの一匹を盗んで、旅先から写真を送ろう。きっと驚くに違いないさ」と、作戦を実行し、カエルを盗み、世界各地から手紙と写真を送って楽しんだのです。
ところが、リチャードさんがテレビでジョンさんの病気を初めて知り、フィルと励ませないかと考えるようになったと言います。ジョンさんが旅行好きなことを知った2人は、景勝地を背景に撮影したカエルの写真とともにユーモアに富んだ文章をしたためた手紙を送ることでナイト夫妻を喜ばせようとしたのでした。
置物のカエルは落としたら割れるので、フライトの度に手荷物で機内に持ち込んでいました。ところが日本の税関で、「このカエルはなんだ?この中に何が入っているんだ」としつこく質問されたこともあったとか。
やがてニュースなどの番組で自分たちがしたことにナイト夫妻が喜んでくれていることが分かり、知り合いの運転手にカエルを送り届けるように頼むことにしたのです。
ナイト夫妻は、カエルを誘拐した2人を「いい人ですね」と微笑み、会えて嬉しそうでした。正体を明かした後、何度も食事を共にしたそうです。
ジョンさん天国へ
ジョンさんはその後、2年以上も充実した日々を送り、2001年6月20日に永眠しました。妻のガートルードさんは、「愉快な犯人と旅好きのカエルのお陰で、主人と素敵な思い出を残すことができました」と喜んでいました。
ジュネ監督がこのエピソードをヒントしたか定かではありませんが、誰かを幸せにする悪戯ってイイですね。
3位 ヘアスプレー(Hairspray)
映画『ヘアスプレー』は、1988年にジョン・ウォーターズが制作した同名映画をリメイクしたものです。2007年に全米公開され、主演はオーディションで選ばれた新人のニッキ―・ブロンスキー。共演にはザック・エフロン、ミシェル・ファイファー、ジョン・トラボルタ、クリストファー・ウォーケンなど、豪華キャストが名を連ねています。
本作の舞台は1962年のボルチモア。人気テレビ番組『コーニ―・コリンズ・ショー』に憧れる、可愛らしい、ふっくらとした女子高生トレーシーが番組レギュラーメンバーのオーディションがあることを知り、喜び勇んで親友ペニーと一緒に挑戦しますが…。
ボルチモアはメリーランド州最大の都市で、60年代はまだまだ人種差別が多く残っていました。メリーランド州は元は奴隷州の1つでした。歴史的背景を少し理解すると、映画をより深く楽しめます。
予備知識①アメリカの合衆国のオリジナル13州は、南北戦争前に奴隷制を廃止するか否かは各州の判断に委ねられ、その結果、13州のうちで奴隷州となったのは、メリーランド、ヴァージニア、デラウェア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージアの6州でした。
南北戦争が起こり、メリーランド州は北軍に参加しましたが、市民の中には南部連合軍に参加した人もいたために、州内で分裂しました。そのような複雑な歴史がこのメリーランド州にあるのです。
当時のアメリカでは、公民権運動の拡大で世論が黒人差別撤廃への風潮がある中で、ボルチモアでは依然として人種差別が残っていました。その背景がこの『ヘアスプレー』の根底に流れています。
映画の冒頭で新聞配達の少年が配った新聞には、「バーネット挑む!大学から黒人学生を除外(Barnett Defies U.S.,Bars Negro From University)」という記事が載っています。『ヘアスプレー』の映画の中で、トレイシーの通う高校には白人と黒人が在籍していますが、クラスは分けられていました。トレイシーは白人のクラス、居残りのクラスには黒人をはじめとする有色人種しかいませんでした。
ジム・クロウ法という白人とそれ以外の人種を隔離する法律があったことで、バス、レストラン、トイレ、そして学校などの公共施設は白人専用とそれ以外の人種を分けていました。
予備知識②ジム・クロウ法とは、南北戦争で北軍が勝利したことで奴隷制度は廃止なりましたが、奴隷制度が無くなっても人種差別は依然残ってしまい、ジム・クロウ法を制定する州が増えていきました。
映画の中でも『コーニ―・コリンズ・ショー』も白人がメインで踊り、黒人が踊れるのは月に1回しかありませんでした。白人と黒人と一緒に踊ることが許されない、今では考えられない時代がありました。残念ながら現在にも差別はありますが、昔のような人種差別がなったのも、過去の多くの犠牲の上に成り立っていることを忘れないでいたいですね。
2位 プラダを着た悪魔(The Devil Wears Prada)
『プラダを着た悪魔』の面白いところは、金持ちなのか貧乏なのか、その人の生き方を映像で見せてしまうところです。たとえば、男性ならどんな服装をしているのか、どんな車に乗っているのか、どんなところに住んでいるのか、どんな種類のお酒を飲むのかといったような表現をします。
女性ならどんな男と付き合っているか、どんな身の回りの小物を身につけているのか、どんな下着を着けているのかといった形でその人のライフステージ(ランク)はどの辺りなんだということが分かるようになっています。それがハリウッド映画の面白いところだとも言えます。
『プラダを着た悪魔』の作品については前回のブログで紹介してますので、ぜひ興味がある方はそちらも(↓)どうぞ!
オープニングにかかっていた曲『サドゥンリー・アイ・シー/KT タンストール』(Suddenly I See/KT Tunstall)
も作品に合わせて生まれた曲。リズミカルなテンポが心地良く、映画の導入部分にしっかりと合ってますね。
🔼『サドゥンリー・アイ・シー/KT タンストール』(Suddenly I See/KT Tunstall)
1位 レオン(Leon)
『レオン』は1994年にリュック・ベッソンがハリウッドで監督を果たした初めての作品です。ジャン・レノの代表作であり、オーディションでヒロイン役の少女に選ばれた当時11歳のナタリー・ポートマンが演じています。
ニューヨークが舞台で、孤独に生きるイタリア系移民のレオンは、プロの殺し屋としてレストラン店主のトニーを介して依頼を受け、完璧に仕事する日々を送っていました。
ある日、12歳の少女マチルダは、悪徳麻薬捜査官スタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)によって家族を皆殺しされていまいます。マチルダは難を逃れ、隣のアパートに住むレオンに助けを求めるところからストーリーが展開していきます。
今もなお、人気作として有名ですが、94年に公開されたオリジナル版と未公開シーンが追加された完全版があります。元々は2人は友情とも恋愛ともつかない複雑な感情を抱いていくという倫理的にアウトな映画でした。
🔼レオン リュックベンソンの世界 (リュック・ベッソンの世界)
元の脚本には、マチルダとレオンは肉体関係を持つ恋人になるというシーンが描かれていたそうです。ナタリー・ポートマンの両親からの反対で、このシーンは削除されましたが、レオン リュックベンソンの世界 (リュック・ベッソンの世界)の本によると、最初からご両親はこの映画に娘を出演させることに反対だったとあります。リュック・ベッソンはナタリーをどうしても起用したかったことから、「本人に台本を読んでもらい、本人に決めてもらおう。本人が嫌と言えばあきらめます」と説得したエピソードがありました。
映画の冒頭に登場する売春婦を演じているのがマイウェン・ル・ベスコ。リュック・ベッソンの元恋人だそうです。彼女によると、11歳のときに彼に会い、15歳のときに32歳の彼と男女の仲になったという疑惑がありました。2人の間に娘がひとりいます。どうやらレオンの脚本にはリュック自身の経験が織り込まれているようです。
現在、ナタリー・ポートマンは『レオン』について「いま観るとあの作品はとても不適切だったと思う」「自分の子供たちにどう見せたらいいのか分からないわ」回顧しています。
孤独で寡黙な殺し屋の男、友達は植物、子供のように初心。方や、女の子、小さな女、壊れやすく、無垢で、頼りなく、賢い。すべて彼にないものを持っている。一緒に生活していくうちに打ち解け合い、次第に愛情が芽生えていく…。そんな複雑な恋愛感情が含まれるサスペンス映画です。
女の子の方が精神年齢が高い分、恋愛感情も抱きやすい年ごろですよね。不器用な一人の男性に命がけで守られたら好きになってしまうのも分かります。
日本公開から25年が経過した『レオン』。今もなお不屈の人気作として色あせないのは倫理的にアウトではあるけれど、ヒューマン&サスペンスの要素がそれを上回った結果かもしれませんね。
まとめ
今回の「女子に人気の映画ベスト5」はいかがでしたか?元気がほしい時にぜひご覧ください。頑張っているあなたに、きっと心も体もリフレッシュできるくらいエネルギーをもらえるはずです☺
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