盟友・宮崎駿監督は高畑さんのことを「パク」さんと呼んでいました。高畑さんは韓国人?と思ってしまいますが、実際は日本人です。どうして「パク」さんと呼んでいたのでしょうか。その理由とは?
それでは、今回は高畑勲展その②ということで、前回の続き、第3章と第4章をご紹介します。
高畑勲展・東京国立近代美術館
宮崎監督は以前、こんなことをおっしゃってました。「高畑勲さんが何故パクさんと呼ばれていたかというと、『若いころ高畑さんがよく遅刻して食パンをパクパク食べていたことからついたニックネーム』なんです」と。
宮崎監督の情報は巷に溢れていますが、前回の続きに行く前に、あまり知られていないパクさんこと高畑監督の略歴を見てみましょう。
1.略歴
高畑 勲
Isao Takahata
- 1935年 三重県生まれ。岡山県で育つ。
- 1959年 東京大学仏文科を卒業。同年東映動画(現・東映アニメーション)に入社。
- 1968年 劇場用長編初演出(監督)となる「太陽の王子 ホルスの大冒険」を完成。
- 1974年 テレビシリーズ「アルプスの少女ハイジ」全話を演出。
- 1976年 テレビ「母をたずねて三千里」全話を演出。
- 1979年 テレビ「赤毛のアン」の全話演出。
- 1981年 公開の映画「じゃりン子チエ」 監督。
- 1982年 公開の映画「セロ弾きのゴーシュ」監督。
- 1984年 公開の宮崎駿の「風の谷のナウシカ」でプロデューサーを務める。
- 1985年 スタジオジブリ設立に参画。自らの脚本・監督作品として以下の映画── 「火垂るの墓」 (1988)、「おもひでぽろぽろ」(1991)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)、「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999)、「かぐや姫の物語」(2013)を制作。『映画を作りながら考えたこと』(1984)、『十二世紀のアニメーション』(1999)、『アニメーション、折にふれて』(2013)など多数の著作がある。
出典:高畑勲展より
2.見どころ
『じゃりン子チエ』『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』などの作品が語る現代日本の痕跡とアニメーション
その① 『第3章 日本文化への眼差し 過去と現在の対話』
1970年代に入ると、高畑さんは制作スタッフとともに海外の児童文学をもとにした作品を手掛けるようになりました。「アルプスの少女ハイジ」(1974年)、「赤毛のアン」(1979年)などのTV名作シリーズで、日常生活を丹念に描き出す手法を通して、冒険ファンタジーとは異なる豊かな人間ドラマを展開させます。
80年代には、視点を変え、日本の風土や文化、庶民の生活にフォーカスします。 「じゃりン子チエ」(1981年)、「セロ弾きのゴーシュ」(1982年)、「火垂るの墓」(1988年)など、舞台を日本に移し、リアルな生活を追求しました。
日本人の戦前・戦中・戦後の歴史を追随する体験が地続きに現代の私たちに語り掛けてくる作品。また、戦後の復興が生んだ新たな問題も果敢に取り上げ、里山を舞台にストーリーは展開していきます。
『火垂るの墓』では、野坂昭如さんの原作を映像化しました。脚本も手掛けた高畑さんが翻案するために作られた構成ノートをはじめ、戦火を生き抜く兄妹のイメージボードや、節子と清太のキャラクターの色彩設計図も展示されています。
山本二三さんによる背景美術では、幼い兄弟の戦争体験がリアリティー溢れる描写で描かれています。高畑さん曰く、「かくして二三さんの美術はしばしばリアルな「リアル」を超え、第二の「リアル」を画面に作り出す。ある種のファンタジーとなる」。
次の展示では、27歳の大人になった夕子が小学校時代を回想する物語『おもひでぽろぽろ』や、都市開発によって住処を失っていく里山の狸たちの物語『平成狸合戦ぽんぽこ』の展示ではセル画や背景画などが見られます。
また、壁一面には、大きな垂れ幕のように柔らかな色彩で描かれた膨大なイメージボードが覆っていました。ユーモアに富んだアイディアが大量に描かれ、狸の生態や化け方のハウツーは何度も見入ってしまいました。
百瀬義行さんと大塚伸治さんによるイメージボードは、狸は一生懸命やっているつもりでも人間にはほとんど効果がないという「しょぼい感じ」を出すことを目指したそうです。
手書きの線を生かしたアニメーションの新しい表現を開拓。飽くなき探求者・高畑勲
高畑さんは長い間、リアリズムを追求し続けてきた結果、その先には私たち観客の想像力の余地を無くしているのではないかという危惧を抱くようになったと言います。そこで、現実的な原画から単純化された線画の技法にシフトしていきます。それが『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年) の作品です。いしいひさいちさんの原作の描線をできるだけアニメーションにも生かせるよう工夫をしています。たとえば、シンプルな線画に水彩で色付けし、背景を隅々まで描かずにあえて余白を残すように仕上げました。さらには、セル画の代わりにコンピューターによる彩色を開発。手書きのような水彩のタッチを表現するという、世界初の技法を発明しています。
その② 『第4章 スケッチの躍動 新たなアニメションへの挑戦』
さらに高畑監督の挑戦は続きます。彩色だけでなく、セル画の線画においても変革を起こします。線画や動画でできるスピード感などを表現するのに、それまではセル画形式の制約がありました。90年代に入り、高畑さんは国宝絵巻物の研究にも没頭し、日本の文化遺産を再発見しました。その折、絵巻物と映画・アニメーションの間にある共通性を解き明かし、日本漫画のルーツと言われる国宝・鳥獣戯画などの作画スタイルを吸収しながら、手書きのスケッチ線を生かした技法を見出します。
その成果をみることができるのが、前に紹介した 『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)と、そして遺作となった『かぐや姫の物語』(2013年)でした。 「かぐや姫の物語」においては、最大限にデジタル技術を駆使し、手書きのスケッチ線を活かした手法を積極的に採用しています。それに加えて、手描きの線を生かした水彩画風の描法も駆使しています。
本展では、その成果を見ることができる多数の原画と解説映像を通じて、『かぐや姫の物語』で高畑監督が到達させたアニメーションの軌跡も紹介しています。
たとえば、かぐや姫が怒りと悲しみに駆られて疾走する場面にフィーチャーした展示。実際の映像とかぐや姫の姿が抽象化された数枚の原画を比較して見ることができます。
音声ガイドは、俳優の中川大志さんがナビゲートしてくれます。中川さんと言えば、NHKの連続テレビ小説『なつぞら』で、主人公・なつが勤める東洋動画の監督見習い坂場一久役を演じています。坂場は高畑勲をモデルにしたとも言われているキャラクターですね。
『高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの Takahata Isao: A Legend in Japanese Animation』展は7月2日から10月6日まで東京国立近代美術館で開催されますが、2020年4月には高畑が育った岡山の岡山県立美術館に巡回するそうです。
3.まとめ
前回のに引き続き、高畑展その②はいかがでしたか? 常にテーマを模索し、技術面でも徹底して新しい表現方法を追求した先駆者・高畑監督の軌跡は、日本アニメーションに多大な功績を残しました。国内のみならず、戦後の世界のアニメーションや制作者にも大きな影響を与えました。
多数の未公開資料も見どころ満載。膨大な資料を見ているうちに高畑さんの制作スタッフとして参加している錯覚に陥りました💦。要求が高度過ぎて、実際のスタッフさんたちはさぞ大変だったことでしょう(笑)。飽くなき探求者、高畑勲さんの功績はそう簡単には語りつくせないので、ぜひ一度展覧会に足を運んでみてくださいね。