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鎌倉尽きない魅力! おすすめスポット竹の寺(報国寺)

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鎌倉と言えば、 源頼朝が幕府を開いたゆかりの地。初めて武家政権を樹立した地でもあります。海や山などの豊かな自然環境と神社仏閣などの歴史的遺産に恵まれた町が、東京から小一時間で行けてしまう。その利便の良さが、また鎌倉の地に足を運びたくさせます。

何度となく訪れた鎌倉なのに、行くたびに発見がある。この初夏にも行ってきました。今回は報国寺をご紹介します。

鎌倉・報国寺

報国寺・竹の庭

1.報国寺の由来

報国寺(竹の寺)

竹の寺として有名な報国寺。臨済宗建長寺派の禅宗寺院で、足利、上杉両氏の創建と伝わっています。この寺は建武元年(1334年)、足利尊氏の祖父・足利家時の創建と云われる一方で、開基は上杉重兼であるという説もあり、すでに家時の開いた寺を上杉重兼がさらに拡張再建したとも伝えられています。

鎌倉時代の武将、足利家時の孫が室町幕府を開いた足利尊氏です。尊氏は四男の基氏を鎌倉府の初代長官に任じ、やがて氏満満兼など4代にわたり鎌倉公方と呼ばれていました。関東地方の支配者として権威を持ち、足利氏は栄えていったのです。

ところが、鎌倉公方4代目の足利持氏が、室町幕府に背いたことで永享の乱となり、持氏は永安寺、持氏の嫡男、義久はこの報国寺で自刃して果ててしまいます。報国寺は足利氏の終焉の地だったのです。

2.開山

建武元年(1334)足利家時が、五山文学を代表する天岸慧広仏乗禅師)を開山として創建したと伝えられています。中国より招聘された円覚寺の開山・無学祖元(むがくそげん)に従事した仏乗禅師は、のちに中国へ渡って修行しました。この寺には数多くの文化財がありますが、開山自筆と伝えられる『東帰集(とうきしゅう)』や、自ら使用した「天岸」、「 慧広」の木印は国の重要文化財として、鎌倉国宝館に保管されています。

3.竹の庭

竹の庭

この寺は、1000本以上ある孟宗竹の竹林が有名です。日本国語大辞典によると、孟宗竹とはイネ科の多年草で、中国原産で、筍を採るために、広く栽培されています。筍は食用、茎は筆立・盆など細工物に使います。和名は、中国の故事の、冬に母親のために筍を掘り採った孝行者の孟宗にちなんだものです。

竹の庭の奥には茶席があり、静寂な竹林を眺めながら抹茶が味わえます。お茶を頂く場合は、竹の庭への入場券を受付で買う時にお茶の券も一緒に買っておきましょう。

休耕庵
深閑とした竹林を眺めながら、お抹茶が頂けます。

4.山門

報国寺の山門

バスを下車して「報国寺入口」の信号を渡っていくと、報国寺の山門が見えてきます。山門をくぐって、中に入っていきます。

新緑に包まれた石畳の参道

境内の中へ進んで入っていくと、美しい新緑が目前で広がります。その中央を石畳の参道がまっすぐ伸びています。

観音様

境内に入って左奥に目をやると、美しい観音半跏像のお姿が…。優美なお姿にしばらく佇んで見入ってしまいます。

5.本堂

本堂

石畳の参道をまっすぐ行くと、右側にある石段を登ったところに本堂があります。 本尊の釈迦如来坐像が祀られているそうです。本堂の右手に迦葉堂、左手にかやぶきの鐘楼があります。

手入れされたかやぶきが美しい鐘楼

迦葉堂では、座禅堂があり、日曜の朝7時から行われる座禅会には、一般の人も参加できるとか。

6.足利一族のやぐら

横穴墳墓(やぐら)

かつては足利、上杉両氏の菩提寺として栄えた報国寺。竹林の東側にある裏山には足利一族の墓といわれるやぐらがあります。足利家時の他に足利義久の墓もありました。

鎌倉を中心に権力を支配した関東の足利氏終焉の地で、足利高時ら一族は今もなお眠っています。

7.中庭

本堂の裏側には、雅な枯山水が見られます。

中庭

8.まとめ

今回の報国寺はいかがでしたか? 歴史的遺産と自然との共存によって生み出されたこの町の魅力を気軽に体感できるのはとても嬉しいですね。鎌倉とは、文化的価値の高い町だからこそ、何度訪れても飽きないのかもしれません。手入れが行き届いた境内や竹の庭。ぜひお休みの日にも出かけてみてはいかがでしょうか。

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